また今年も夏がやってきた。夏の風物詩と言えば、海水浴にプール、祭りにキャンプ、肝試しにフェスなどいっぱいあるが、中でも老若男女誰もが楽しめるのが「花火」ではないだろうか。
山梨県には「花火の町」がある。その町、市川三郷町は古来から花火作りが盛んであり、昨年、某番組の「全国の一流花火師が選ぶスゴイ花火大会」で1位に輝いたほど、昔も今も知名度が高い町である。毎年8月7日の花火の日には、県下最大級を誇る「神明の花火」大会が開催され、2万発の花火が夜空を彩る。そんな美しい花火を生み出す煙火店の花火にかける想いや日常では触れることの少ない花火が出来るまでの職人たちの様子などを紹介しよう。
市川三郷町「神明の花火」の歴史
山梨県の南西側に位置する市川三郷町は、自然に恵まれた場所である。ハンコや和紙、市川團十郎発祥の地であり歌舞伎の町としても有名で、自然・歴史・文化を活かしながら伝統を守り続けている町だ。そこに暮らしている人々も、市川三郷町の産業に誇りを持っているが、特に「花火」に対する想いは人一倍だと言う。町の一大イベント「神明の花火」は、クリスマスや正月より重要視され、日本に3箇所しかない花火資料館の一つが市川三郷町にあるほど、花火の町として息づいている。
では、市川三郷町はなぜ「和紙と花火の町」となったのか。
日本での花火の歴史は、1543年鉄砲が伝来し火薬が使われてきたことを発端に、1613年、徳川家康が日本で初めて花火鑑賞をしたと言われている。その後、花火の人気は町民の間にも瞬く間に広がっていった。
一方、甲州(山梨県)では、武田信玄が上げていた「のろし」が始まりだと言われている。戦のために使っていた火薬は、いつしか鑑賞用の花火となり人々を楽しませた。
武田氏滅亡後、徳川家康は信玄のすぐれた技術を積極的に取り入れ、市川の花火師たちも徳川御三家に仕え、花火づくりに専念し、多い時には300軒以上が花火に関わる仕事をしていたそうだ。
「神明の花火」という名称は、同じく地場産業である「和紙」に由来する。市川三郷町市川大門(旧:市川大門町)には、紙漉き技術を町の人々に伝え、暮らしを豊かにした紙漉き職人・甚左衛門の功績を称え、紙の神様を祀っている「八乙女神明神社」がある。かつては紙明社、そして江戸時代には神明社と呼ばれてきたが、今も地域の住民から「八乙女さん」と親しまれている神社だ。1181年に亡くなった甚左衛門の命日、7月20日を祭りとし、盛大に花火を打ち上げたことが、今につづく神明の花火大会の始まりだそうだ。
江戸時代の元禄・享保(1688~1736年)頃から、いっそう盛んになり、日本三大花火の一つとされ、賑わった神明の花火。今でも、市川で一緒に花火を見ると幸せになれると言い伝えられているのだとか。
明治時代以降、花火産業が衰退し、神明の花火は一度途絶えてしまったが、平成元年8月7日、山梨県下最大規模の花火大会として現在によみがえった。
世界最高レベルと賞賛される日本の花火。400年に渡り花火を進化させてきた煙火店。その進化の立役者として、また神明の花火復活に尽力したのが、市川三郷町に拠点を構え、何世代にもわたり日本中の花火を支え続けている「株式会社齊木煙火本店」と「株式会社マルゴー」だ。
感動と夢を乗せて大輪の花を咲かす「株式会社齊木煙火本店」
1901(明治34)年創業の「株式会社齊木煙火本店」は、甲州花火の元祖と言われている。
神明の花火をはじめ、河口湖湖上祭、武田の里まつりなど山梨の花火大会から、全国各地の花火大会を股に駆けて活躍する。
現在は4代目の齊木克司社長に引き継がれ、年間数万発の花火を製造。20代~30代を中心に22名のスタッフが所属し、うち10名が花火師である。
「花火師になるには、10年ほどの修行が必要とされます。光の1粒1粒となる星を作り、パーツごとに玉詰めを行い、玉貼りまで、いくつもの工程を経て花火は完成します。玉1つ1つの工程を完璧に仕上げるには最低1年以上の修行を要します」と、花火師への道のりは長い。加えて「思い描いたように打ち上がるまでには、そこからさらに試行錯誤していかなければならないのです」と齊木社長は話す。
花火やスタッフのことを話すとき、齊木社長は本当に楽しそうだ。
「現在、市川三郷町にいる手漉き和紙職人は、わずか一人。この世界も年々少なくなってきていますが、手漉き和紙の職人に比べれば、一年に一人いるかどうかですが、花火師を志す若者が入ってきます」
花火師を志す者には2通りのパターンがあり「見て楽しむタイプと、自分で作った花火で人を喜ばせたいタイプに分かれます」と言う。中でも後者は、10代でこの世界に飛び込んだ者が多いと話す。
そのため、斎木社長は「基礎は基礎でしっかり学ばせますが、ある程度経ったら本人の作りたい思いを尊重し、トライさせていきます」と人材育成にも精を出す。「花火作りは料理に似ています。ひたすら皮むきをするような下積みから、煮物・天ぷら・刺身と1つずつ段階を経て料理職人になっていくのと同じかもしれません」そして、齊木社長曰く、「花火は作り手の性格が出ます。最後は、感性のものですね」と。
花火師は、料理職人のように一つ一つを丁寧に手作業で仕上げていく。そんな花火作りにおける基本的な製造工程を簡単にご紹介しよう。
齊木社長自身、「幼い頃から工場が遊び場で、ずっと花火の中で育ってきました。一度は花火から離れた時もありましたが、それでも花火をやっていくんだという想いは持ち続けていました」と教えてくれた。
花火の技術を伝承し、昔から変わらず一つずつ丹精込めた手作り花火にこだわる齊木社長は、2009年「聖礼花(せいれいか)」という花火を誕生させた。
幸せを運ぶ花火をコンセプトに、水色は清らかさ、レモンイエローは幸せ、ピンクは愛情を表現し、淡いパステルカラーが夜空をやさしく照らす。
その色彩は、決して派手ではないが存在感があり、繊細な手仕事であることがうかがえる。儚くも美しい聖礼花は天空で満開を迎え、刹那、散りゆく中で人々の心に深く刻まれる。
齊木社長にとって花火とは「喜びの創造」だと言う。「ひとくくりで喜びと表現していますが、その中には、感動と元気と癒しなど、さまざまな感情が入っているんです」
昔ながらの橙色一色の「和火」も日本人の懐にすっと染み入る美しさがあるが、色彩のバリエーションがある洋火の色や形、打ち上げ方法など、技術はどんどん進化している。
同店も、コンピューター制御による点火で花火ショーの実現や音楽との相互性などを盛り込んだ演出に取り組む一方、日本の侘び寂びを表現し、コンピューター制御されていない花火、花火師自らが打ち上げるアナログな伝統花火を大切にしている。齊木社長は、その伝統を後世に伝えていかなくてはと、令和元年5月に一般社団法人日本のはなび振興協会を立ち上げ、これからさらに精力的に活動していくという。
この活動は、花火によって地域が賑やかであった時代を振り返り、もう一度あの頃のように地域が活性化したらという想いから始まったそうだ。
今後は、大きなイベントへの花火の演出も予定され、市川三郷町の花火は全国へ、そして世界へ放たれるであろうと予測される。その時、齊木煙火本店もきっと世界に誇れる花火を多くの人々に見せることができるだろう。卓越した職人技と洗練された美への飽くなき探求心から、日本一美しい花火が世界一素晴らしい花火へと昇華する日は近い。
株式会社 齊木煙火本店
住所:山梨県西八代郡市川三郷町市川大門74
電話番号:055-272-1865
http://www.saikienkahonten.co.jp/page1
伝統の光と音が融合されたエンターテイメント「株式会社マルゴー」
5代目・齊木智社長率いる、マルゴーの花火師たちは毎年夏になると全国各地を飛び回る。特に昨年、初めて開催された「東京花火大祭」で、市川海老蔵の歌舞伎と花火のコラボレーションの大役を果たした。
マルゴーが得意とすることは、「色」と「動き」である。夜空でも鮮明に見える濃い色が特徴だ。赤・青・黄・紫・ピンク、さまざまな色の花火が、宙でグラデーションを描きながら小気味よく弾けては消えていく。「動き」は、横にスライドしていく。今までの既成概念を破った動きに、一瞬誰もが目を疑い、驚きと感動を覚える。その色と動きを音楽に乗せて打ち上げていく。音楽とピタッと合った打ち上げに、観客からは大きなどよめきが起きる。
色の鮮やかさ、瞬時に変わる動き、音との融合。これは他にはないマルゴーのお家芸である。
齋木社長は、少子化と花火ができる場所が制限されはじめた20数年前、音と花火のシンクロに着目し、演出用に使用される特殊効果花火に取り組んだ。
それが功を奏し、今では花火大会だけではなく、結婚式、プロ野球、某アミューズパークからひっぱりだこの煙火店である。
中でも岐阜県下呂温泉の「花火ミュージカル」を企画し、年間25回音と花火をシンクロさせた芸術性の高い演目を提供し続け、観客を楽しませている。
ほかにも前述した、歌舞伎と花火のコラボ「東京花火大祭」では、内閣総理大臣賞受賞クラスの日本を代表する花火師が集結。齊木社長は花火師集団のリーダーとして花火大祭を牽引し、大成功を収めている。さらには、世界で認められたイリュージョニスト引田天功の専属花火師としても活躍している。
「限られた球体の中で常に新しいものを生み出すことは、とても難しいものですので、今あるものを組み合わせ、アレンジして、新しいものへと進化させていくことが今の時代に課せられた使命です。特殊効果花火は見栄えは派手ですが、繊細な技術とクオリティを求められます。これからは、既存のものでいかに違う表現ができるのかにこだわって研究し続けていかなくてはならない」と、齊木社長は常に先を見据えている。
花火作りは火気厳禁。大量の火薬を扱うことから、工場は人里離れた山中にあり、熱を持つ電化製品等もご法度である。そのため、花火作りに携わるスタッフは冷暖房のない過酷な現場で作業を行うことになる。
スタッフは総勢25名。内16名が30~40代の花火師だ。東日本大震災で被災し、新たな場所としてマルゴーを選んだ花火師もいる。齊木社長は「安全第一をベースに、いろいろなことを挑戦していってほしい。失敗は財産、怖がらず、研究開発し、細部にまでこだわった花火作りをしていってほしいです」と、次代に想いを馳せる。
工場を覗かせてもらうと、若いスタッフが働いていた。マルゴーが多くの業界から支持されているのは、この若い力から生まれる発想力や斬新さ、時代のニーズに合った多様性も要因の一つであるのだろう。
子どもの頃に持ち合わせた好奇心と冒険心、ワクワクする心があれば、誰でも感動を与える花火を作ることが出来る。「この世界は伝統の中に、最新の情報を集め花火に込めなければ後世に残せません。柔軟性のある若い力をどんどん取り込んで、一丸となって伝統の花火を作り出していきたいですね」と、スタッフを優しい眼差しで見守る。
今年の「神明の花火」は、マルゴーがフィナーレを飾る。令和になって初めての大会ということもあり、過去最大幅の左右550mという長さを使って花火を魅せる新しい演出があると言うから、今の内から楽しみで胸がドキドキする。
「マルゴーの花火を見たいと来てくれた方に、感謝の気持ちを込めていつも打ち上げています。そこから派生して、町にもっと人が訪れるような花火による地域おこしのお手伝いをしていきたいですね」
最後に齊木社長は、花火の魅力をこんな風に教えてくれた。「360度、肉眼で見え、何十万という人が同時に同じものを見て感動できるのが花火。その花火を手に全国各地を訪れるといろいろな人と出会うことができます。もちろんスタッフにも出会わせてくれました。花火が出会いを運んできてくれるのです。そんな花火は私の宝物です」
どれだけ技術が進化しても変わらないのは、手作りの花火とそれに賭けるマルゴーの花火師たちの野心。一瞬で広がる幻想的な光の模様は、進化と伝統のはざまで輝き続ける。
株式会社マルゴー
住所:山梨県西八代郡市川三郷町市川大門4411
電話番号:055-272-0281
http://www.hanabinokuni.com/
市川の花火の場所であいやしょ
神明の花火大会は、今年も8月7日に開催される。
記念すべき令和1回目(第31回)は、『世界に届け「神明花火」平和への祈り。令和元年~美しき華、未来へ~』と題し、すべての国と人々に平和と安定の日々が訪れるようにと願いを込め、打ち上げられる。
江戸時代、日本三大花火の一つとされ、賑わいをみせた神明の花火。恋人たちの出会いの場としても親しまれ、「七月おいで盆過ぎて市川の花火の場所であい(愛・会い)やしょ」とうたわれてきた。
花火師たちの各々の思いが込められた技術の結晶、1星1星が夜空を駆け、大きな光の華となり、何十万もの見る人の心を奪っていく。令和最初の神明の花火大会は、出会いの場、友好の場、そして今年は幸せと平和を願う場になる。
「今年も、神明の花火の場所であいやしょ。」
第31回市川三郷町ふるさと夏まつり
「神明の花火」
日時:8月7日(水)
時間:19:15スタート
場所:市川三郷地内・三郡橋下流笛吹川河畔
※雨天決行(荒天の場合は8日、9日に順延)
http://www.town.ichikawamisato.yamanashi.jp/shinmei/